「瀬川清右衛門」
家業コンサルタント 瀬川 泰弘
代々襲名していたようで、瀬川清右衛門というのは、私の祖父・曽祖父そのまたおじいちゃんたちの名前であります。私の手元にある明治28年4月1日付け滋賀県郡役所発行の行商の商業鑑札は曽祖父のもの、大正4年5月22日付けの商業鑑札は祖父のものと思います。父に聞いても詳しく知らないようで、神戸空襲で焼失しなかったのは、滋賀県の実家で保管していたからだろうという程度です。曽祖父は麻布商ということで、近江商人の中でも湖東商人のよく扱っていたものです。
祖父清右衛門は、大阪の遠縁の貿易商に勤めて商売の修行をしていたようです。祖父の手帳からの推察ですが、そのお店はタオルとかを商っていたようです。その後、近江を本店とし神戸の地に瀬川商店を構え、蚊帳とかの寝具類の卸売りを業としておりました。昭和のはじめの金融恐慌に際し、売り先の破綻から多額の貸倒れを抱えてしまい、大変な苦労をしたようです。先祖伝来の田地を担保に入れ、動産類は処分し、商売を続行しました。父もよく立ち直れたものだとしみじみ言っていますが、その後債務も完済したようです。辛抱して気張る。祖父の商魂に感謝あるのみです。
祖父が歯を食いしばって継続した商売ですが、戦時統制経済下ではどうしようもなかったようです。次男の戦死を知らずに亡くなった事が幸せであったと祖母は言っていましたが、終戦の年の7月に亡くなりました。人手に渡さず辛抱して残した田地も戦後の農地改革で召し上げられました。結果的には祖父の努力は報われなかったかもしれませんが、誠実に生きることの方が大事であると思っています。
戦後、父謙が瀬川商店を再開しました。糸偏でなく、住関係での再興です。叔父がすでに住関係の会社を経営し、父の後ろ盾になってくれたようです。
考えてみれば市井の商人にとって、国の政策というのはチャンスにもなるが、リスクにもなるということでしょうね。その中で家業を継承していく知恵が、近江商人などの家訓なのだと考えています。明治維新、第二次世界大戦、バブル崩壊などの荒波に耐えて残る、或いは、焼け野原から再起する。そのための知恵、生き方が集約されているように思います。瀬川家には書き残された家訓はありませんが、父にとっても私にとっても、祖父清右衛門の踏ん張りが無言の家訓となっています。
| 明治28年 4 月 1 日 | 第四世 清右衛門 代 商業鑑札 |
| 大正 4年 5 月 22日 | 第五世 清右衛門 代 商業鑑札 |
| 昭和20年 | 瀬川 寛 フィリピン沖にて戦死(海軍主計少尉) |