「天秤棒精神」 (てんびんのうた)
家業コンサルタント 瀬川 泰弘 ファミリービジネスコンサルタント
最近の若い方ではご存じないかもしれませんが、「てんびんの詩」という竹本幸之祐先生脚本のビデオ(今ではDVDにもなっています)を、社内研修で見た方もおられるかもしれません。私は三巻まで見ましたが、鍋蓋行商の第一巻が一番感動しました。ご存知でしょうが、あらすじを書かせてもらいます。
大正期の滋賀県の湖東地方、五個荘のある豪商の後継者が近江商人の魂を入れられていく、商いの原点に気づいていく姿を描いたものです。
主人公の大作は、小学校を卒業した日に、父からお祝いの言葉とともに、包みを贈られる。「明日から鍋蓋を売ってみィ」ということでした。大作少年が「何で鍋のふた売るの?」と聞いても、父親は「お前が売ってみれば、わかる」と突き放します。
「今日から商いに出るのに、いつまで寝てるのや!」母親も人が変わったように厳しくなります。「人に出会うてご挨拶もできんで、商人になれますか」
出入業者の家を回り、親の威光を嵩にきた割当販売のような商いをしても上手くいきません。見知らぬ家を訪ねても、けんもほろろに追い帰されます。豪壮な家では「金の蓋ならもってこい」といわれます。土下座も揉み手も作り笑いも泣き落としも通用しない。
叔母さんならと思って、40キロを歩いて出かけます。しかし、「自分の商売せなあきません。自分の商売いうたら、誰の力にも頼らんと、あんたの知恵と努力と人柄で商売するということや。」と諭すだけで、鍋蓋は買わずに追い返します。
農家の近くの川の洗い場に、鍋や釜が置いてあるのに気づきます。近寄って、鍋のふたを手に取ります。ふと、「鍋蓋が無うなったら困るやろな。困ったら買うてくれるかもしれん」ということを考えます。
しかし、その次の瞬間「この鍋蓋も誰かが自分のように難儀して売った鍋蓋かもしれん。」と思います。そして、ただ無心に鍋蓋を洗い始めます。
「おい!人の鍋、何しとる!」と、カツというおばさんに咎められます。「すんまへん。わし、鍋蓋がいとしゅうて、それで…」
「鍋蓋がいとおしい?」
行商に出て3ヶ月たっても未だ初商いができず、売るためにこっそり鍋蓋をこわそうと考えたが、先人が難儀して売った鍋蓋かもしれないと考え直し、鍋蓋がいとおしくなって綺麗にしたくなったのだと話します。
「そうか、それで洗うとったんか」カツは今までの話を聞いて、「その鍋蓋買おう。いや、売ってほしい」
「おばちゃん」
「よう頑張ったなぁ。偉い商人になりや。ええ子や。これからやで。今日の気持ち、忘れたら、あかんのえ、よかった。」
大作が老人となってからの回顧談として、「商いいうことは大変なことやと知りましたねェ。鍋蓋一枚の商いが、さっきまでの見知らぬ人を、親戚以上に親しくさせるんですわ。」
「朝は朝星、夜は夜星、昼は梅干いただいて」
天秤棒を担ぎ、ひたすら歩いた。人情を知り互いの信用も確かめ、市場調査をして情報を仕入れ、そして情報や商品を伝え、諸国産物廻しと、全国的規模で市場を開拓していった。
そこには、テクニックではない、商いの初心原点の天秤棒精神があった。
近江商人は、卸売りが主体でしたので、天秤棒で担げるだけの商売ではありませんでした。馬や船も使って商品は運んでいました。出店も出していました。
行商が強調されるのは、情報収集の重要性を言っているのだと思います。何が、お客様にとって必要なものなのか。売るだけでなく、仕入れもしてくる。往復商売、のこぎり商いといっても、その地域のお客さんの為に、何ができるかを考えての事でしょうね。顧客戦略、お客さんの視点で接近戦の商いをした。
掛売り、委託販売もあり、大変だったと思います。