(株)瀬川商店

  瀬川 清右衛門
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「近江商人の知恵」

                                              家訓コンサルタント 瀬川 泰弘

 たとえば、近江商人が、東北へ麻布を行商に行った。片荷であれば、帰りが無駄になる。そこで、帰りは紅花を持ち帰り(仕入れ)上方で売った。これが、往復商いであり、のこぎり商いといわれるものである。

 遠州で繰綿を集め、木綿のない東国で販売した。これが、諸国産物廻しと言われるものである。売りも買いもあるから、近江商人以外から単なる買うだけの行為はできなくなる。与信管理上も適切である。封建体制化でも、藩際商売が認められた。

 個の商いを超える発想が、世間よしの発想であったと思います。マーケット、商圏の捉え方に、スケールの大きさを感じます。

 迂回な手間がかかっているようでも、出来上がれば、参入障壁もあるし、大きな商いになっていく。核を作って拡大していく堅実さ。学ぶべき点は多い。
 
 一番商品での参入戦略で新規開拓。地域戦略は競争の少ないところ。はじめは一点集中、隙間狙いで、局地戦で圧勝したようです。ランチェスター法則に適っているように思います。

 点ができれば、線が形成できる点を攻略していく。信用と人脈という裏付けも形成していったことでしょう。

 集中効果が固まれば、次には面的シェアの確保を目指していく。市場開発とも言える販売網を形成していく。醸造・金融へと多角化もしながら、継続していく。合理的だが、一挙に勝負に出るという欲に負けない辛抱が要る。

 行商という市場調査、お客さんのニーズを把握することが基本にあった。継続する中に利があるという長期的展望。「商いは牛のよだれ」

 行商がスタートであるから、弱者の戦略が原点でありました。失敗してもやり直しがきく。財力に物を言わせた集中はしない。失敗したら取り返せない。

 「商人は、天下の有無あい通ずるが職分、利は余沢」薄利多売の正路商い。
 中井源左衛門の「金持ち商人一枚起請文」という家訓には、「始末第一に、商売に励むだけのことである。」とあり、才覚と算用という言葉は出てきていません。しかし、中井源左衛門は勤倹であっただけでなく、才覚で身代を築き上げた商人です。

 漆器と合薬の行商から始まり、苦節15年で始めて小さな出店を構え、木綿製品や古着も取り扱い、支店網(情報網)を作り上げ、大規模な産物廻しを行った。質店、醸造と多角化している。まさに、才覚の人、戦略家である。ステップの踏み方が巧みであった。

 算用についても、自己資本の蓄積、元手をいくら増やしたか、いくら残るかを計算した商人でした。支店あり、売り掛けあり、複雑な企業体の管理会計システムを作り上げた名経営者であった。
 
 子孫に才覚を強調しなかったのは、欲に走って家を傾けないようにと思ってのことでしょう。凡に徹する非凡を求めたのでしょうね。

 近江「商人」と言っていますが、酒、醤油、味噌の醸造業も展開していたのですから、製造販売ということになりましょうか。蚊帳の生産にしても、問屋制家内工業というか、地場産業として、見事な分業体制を形成しています。戦略家としての合理的精神に支えられていたのだと思います。ヤマセの清右衛門も、近江麻布の製造をしておりました。昭和のはじめには、協同組合のような組織もありました。明治の頃から、組合で品質保証をしていました。

 五個荘の商人の家訓に、「手堅く商いしていても、思わぬ損失があるのは、昔も今も変わらない。正直者が窮する事があるのも、世の習いである。不運が重なっても、心を乱さず、法や道徳に背く事がないように。うまい儲け話をうらやまず、信用第一とわが身を慎むことである。節約して家業に励むのみである。」というのがあります。

 家訓と言うのは、成功者・名門にして始めて書置きできるわけで、その名門にこのような家訓があるのは凄いことだと思います。

 山への登り方だけでなく、谷での過ごし方まで書いている。家業永続のために、不遇の処し方までを祈るように書残したものでしょう。貧しても鈍するな。

 老舗に定業なしとも言います。市場の変化に合わせて、代々革新していく、創業者精神を継承したかったのだと思います。