「長者丸」
家業コンサルタント 瀬川 泰弘 ファミリービジネスコンサルタント
井原西鶴の「日本永代蔵」は、「金銀ある所にはある物がたり、聞き伝えて日本大福帳にしるし」ということで、富豪の話が多く書かれています。実在の成功者に題材を取っており、お説教臭い感じはあまりしません。当時のベンチャーも多く取り上げています。
栄枯盛衰ともに非常にリアルに描かれており、現代にも通用する話です。
「人には知恵才覚にかかわらず、貧病という苦しみがあります。これをなおす治療法はありますか」と、裕福な人に尋ねました。
「あなたは40歳までうかうかと暮らしてきたようで、少し診察するには遅い。しかし、倹約家の履物をいつも履いている心掛けから、もしかしたらお金持ちになれるかもしれない。長者丸という妙薬の処方を、お教えしよう。」
「早起き5両、家職20両、夜業(よなべ)8両、始末10両、健康7両。」
「この比率の50両を砕いて、順序割合などに気をつけて調合し、これを朝夕飲み込めば、長者にならないことはない」
「しかし、せっかくの薬が台無しにならないように、気をつけてもらわなければならないことがある。いわば断ち物というか禁止事項です。」
「美食、淫乱、絹物を普段着」、「座敷普請、茶の湯数寄」、「事件の調停役や連帯保証」、「新田開発出願、鉱山開発の出資者」、「金利の高い借金」などなど。
この富者からの金言を守り、朝夕油断なく稼ぎに励んだ男は、箸屋甚兵衛というゆるぎない大豪商となった。実在の材木商鎌倉屋甚兵衛がモデルといわれています。
金のなる木を探し回ったのではなく、大工さんの落とすひのきの切れ端を拾い集めて売ったのです。雨の日は木切れを削って箸を作った。妙薬「長者丸」の効目がはっきり現れ、木切れが大木となり大屋敷となりました。
70余才となってからは、断ち物を緩め、老後をゆったり楽しみました。断ち物の中には、「寺社参詣、後生を願う気持ち」もありましたが、それも緩めて人の世話もして、「後の世も悪しからじ」と人々のうらやむ最期であった。これを、「死に光り」という。江戸時代の知恵には、ヒントが多いですね。
読み物として書かれたものではなく、子孫への遺訓として書かれた家訓にも、先人の知恵が凝縮されています。成功者の実体験からでた知恵を、子孫のために書き残すわけですから、願いのこもった真実の教えでしょうね。子孫でなくても、有難く商訓として拝読させてもらえます。
家訓ではなくても、事跡として各地に伝承されている商人も多いですね。越後縮布(ちぢみ)の行商人、越前武生の鎌商人、越中富山の売薬行商、甲州商人、堺商人、伊勢商人。
とても、石高という米の生産高で、幕府・藩財政が計算されていた時代とは思えませんね。淀屋橋、常安橋、道頓堀とか、豪商の名前が残っているのは、大阪商人の心意気ですね。
近江商人といえば天秤棒姿の行商でイメージされますが、江戸時代の北海道交易では、海運利用をしています。米、塩、古着などを北海道に運び、にしん、たら、なまこ、昆布などを持ち帰っています。商品を売るだけでなく、漁業開発もしていました。水産物を貯蔵食品(棒鱈、昆布巻など)にして販売しました。この商品戦略はさすがですね。
西川伝衛門は、「我家は松前において興る。それゆえ、北海事業の振興刷新に財を投じ亡びても本望だ」といったとされています。志が大きいですね。
「ただそのゆくさきの人を大切に思うべく候」、世間よしですね。
司馬温公の「お金を積んで子孫に残そうとしても、守れるかどうかはわからない。人知れず社会のためによい事をする、陰徳を積み上げるほうが、子孫が
栄えるためになる」という教えを、座右の銘にしている方もいました。
「陰徳善事」を積むことにより、子孫に良き人を得られるように願ったようです。商人の本分をわきまえず、家産を危うくするような当主は、強制的に隠居にさせることが家訓で認められていた。家業も公的なもの。厳しいですね。